西享には神が生まれた日がある。




倫敦は、緩やかに年末を迎えようとしていた。
徐々に冷え込み、徐々に日が短くなり、
そして徐々に店頭に年末のための商品が並ぶ。
そのうちの一つ。
クリスマスのプレゼントに!と書かれたポップを目にして、メアリは人ごみの中立ち止まっていた。
クリスマス。
神様が生まれた日。
正しく言えば、父と子と聖霊の、子が誕生した日である。
めでたくも神聖な日は、親しい者との交流を深める日でもあるから
クリスマスのための贈呈用の商品が店頭には、並ぶ。
「………クリスマス」
はぁっと、僅かに白く色づいた息の色と、洋品店の店頭ディスプレイに
でかでかと貼られたポップと、飾られた商品を見ながら、メアリは思考をめぐらせる。
遠い地にいる親友には、カーディガンを。
同じく遠い地にいる母には…ひざ掛けを。
近くにいる親友には…マフラーでも。
マフラーなくしちゃったのと、この間語っていた黒髪の友人の姿を思い返しながら考えて
メアリは無言で店頭に近寄って、飾られたマネキンの着るカーディガンとマフラーを見る。
しっくりとした落ち着いた紺色のカーディガンを着込んだマネキンの、
首元にかかったマフラーは柔らかそうで、値段を見て
それから財布の中身を思って、買えないことは無い。と、メアリはうん、と一つ頷いた。
デザインもいい。値段もいい。文句なし。
だが、メアリは店内に入って、品物を買うような素振りを見せることは無かった。
彼女にとって、買うものはカーディガンとマフラーだけではなかったからである。
無論、ひざ掛けも買わねばなるまい。
しかし、それだけではないのだ。
思って、はぁとため息を思わず唇から漏らしそうになる。
遠き地にいる親友も、母も、近くにいる親友も、
贈るものを決めるのに、さほどに時間がかかることは無かった。
しかし、今頭を悩ませている者ときたらどうだ。
メアリは、クリスマスプレゼントを贈ろうと決めてから既に一週間
ずぅっと頭を悩ませ続けているというのに、解決の糸口すらも、見つけることが出来やしないのだ。
まったく、まったく、まったく。
あの黒い二人ときたら、まったく!!

…メアリが頭を悩ませている黒い二人とは、無論セバスであり、M…ジェイムズである。
物欲とは程遠いところにいる二人を思うと、メアリは頭がくらくらする感覚さえ覚える。
…つまり、何を送っても喜ばれる気がしないのだ。
セバスは…まだ良い。
見につけているリボンの代わりの髪飾りだとか、外に出たら皆持っている傘とか。
そういうものを贈れば、まだどうにかなるだろう。
しかし、問題はMの方だ。
彼に関しては、何を贈ればいいのか見当すらつかない。
身につけている物にしたって、ちょっと見る限りでも、コートもなにも、メアリの手の届くような安物では無いし
かといって、眼帯?
売っているあてが、メアリには思いつかない。
服飾面ではお手上げで、しかし他の彼の趣味で思いつくものといえば、大デュマか、紅茶か、英字新聞か。
大デュマ…既に彼は持っている。
紅茶…服と同じく、普段彼が口にしているものは、メアリが手が届くようなものではない。
彼が味を楽しんでいるかどうかは別として、ランクが低いものを、低いと知っていて贈るのは、気が引ける。
英字新聞………選択肢の中ではこれが一番。
古いものも新しいものも一切がおそらく彼の中では関係が無い。
情報は求めて読んでいるのは、割合の何割かで、おそらく彼にとっては、
物珍しい生き物の、物珍しい観察記の割合の方が、おそらく多いに違いない。
暫く一緒の空間で生活をしたメアリは、そう結論付けていた。
しかし、クリスマスに英字新聞。
古びたものも、新しいものも、一切合財をまとめてリボンをくくって、良かったら…といって渡す光景は
「嫌がらせ以外の何ものでも、ないわ」
廃品回収ではあるまいし、却下。
だが、そうなってくると、いよいよ贈るものが無いのだ。
いっそ贈らなければ良いのでは?と頭をちらつくこともあったが、
親しい、親しくなりたい相手として、クリスマスプレゼントは是非に贈っておきたい。
うぅ、とジレンマの声を巡らせながら、メアリは周囲を見渡し―
降って来る煤の姿に、ぽんっと手を打った。













黒い彼彼女の、倫敦での逗留場所は変わらずザ・リッツ・ロンドンの最上階。
スイート1502。
気に入っているのか、他の場所を探すのがわずらわしいのか。
もし後者ならば、豪胆なことだ。
ここなどすでに、結社にばれきっているというのに。
それとも、地面を歩く蟻のようなものだと、結社のことなど気に止めてもいないのか。
Mとセバスは変わらずここにいる。


イブの日に。
その部屋の扉の前で些か緊張した面持ちで、メアリはノックをするために手を上げた。
コンコンと、扉を鳴らしたその振動で、左手に持った荷物ががさりと音を立てる。
「メアリ、どうぞお入りください」
ノックをしたと次の瞬間には、黒の少女の声が響いた。
扉が音も無く静かに開いて、貴族の部屋のような室内が露になる。
そこにもう、驚きも無く入りながら、メアリは扉を開けたたずむ少女に笑顔を向けた。
「こんばんわ、セバス」
「はい、メアリ」
言いながら、セバスはメアリの荷物へと視線を向ける。
彼女は、特別何を持っているのか気になったわけではなく、ただ、検分をしているだけだ。
それが主に害をもたらさないかどうか、確かめているだけ。
しかし、贈る相手にそれをされると、メアリは平常ではいられない。
どきどきとしながら検分が終わるのを待って、僅か一秒二秒、視線をそちらに向けただけの彼女に
手の中の荷物を一つ差し出した。
「…メアリ?」
呼ぶ声に混じるのは戸惑い。
それを理解しつつも、早鐘のようになり始める胸を空いた片方で押さえて
メアリはどぎまぎと口を開く。
「あ、あの、メリークリスマス、セバス。今日は、イブだけれども
クリスマスは少し、その、遅くなりそうだったから迷惑になると思って」
「はい」
「あの、大した物じゃないけれど、良かったら…受け取って…欲しいの」
「……私に?」
最後の方は切れ切れに小さくなった言葉を、しかし機関人形の鋭い聴覚で
余さず拾ったセバスは、メアリの手から差し出された物を受け取る。
プレゼント用の綺麗な包装をされたもの。
開けなくても、セバスはその中身を理解している。
走査は終わった。
差し出されたものが傘だと、彼女は理解している。
ただ、贈られる理由は全くもって理解していない顔をしていた。
その顔のまま、セバスはメアリへと視線を向ける。
「いいえ、はい。メアリ、私はあなた方の神を信仰してはいません。
贈られる理由が」
「そういうのじゃなくて、家族とか、友達とか、親しい、親しくなりたい相手に、クリスマスプレゼントは渡すものなの」
ないと言い切る前に、メアリは急いで口を開いた。
ないと言われてしまうと、受け取ってもらえない気がしたのだ、なんとなく。
重ねて
「あたしは、その…セバスのこと、友人…だって思ってるから」
「メアリ」
その先は続かなかった。
沈黙が二人の間に落ちて、否定されなかったことに、メアリはほっと息をつく。
その勢いのまま、贈り物をセバスの手に握らせて、メアリは彼女に向かって、笑った。
「倫敦は、どうしてもやっぱり煤が多いから、皆傘や帽子を使ってるの。
光学迷彩が使えないときにでも、使って?」
「………はい」
果たしてそのような事態があるのかは、分からなかったが
大人しくセバスがそれを受け取ったので、メアリは良しとする。
これで、第一の関門はクリアである。
問題は、残った一つの方だが。
メアリは、ちろりと横目で部屋の奥に置かれたソファーを見た。
そこには、今の出来事にも眉一つ動かさず、こちらを見ることすらしていない黒い彼がいる。
ばさりと、Mのめくる新聞の音が部屋に響いた。
…大人しく、このままセバスに預けて帰ろうかしら。
すこしだけ、そう思ったものの、メアリは自然と唇を開いていた。
「…ジェイムズ」
「なんだ、仔猫」
「仔猫って呼ばないで。…あなたの分も、その…あるから…良かったら」
ばさりと、もう一度新聞の音が響く。
………以前よりかは、リアクションをとるようになったとはいえ、やはりMはMである。
メアリの言葉に、反応を示さないことなど、珍しいことではない。
それは分かっているものの、がっかりした気持ちでメアリは手の中の荷物を見つめた。
黒い彼に合わせた黒い帽子。
今じゃなくても、いつか見てくれるといいんだけど。
諦念を含んだ気持ちでそう思って、ここに置くわねと声をかけて
メアリは贈り物の帽子を、机の上に置いた。
色々と悩んで、やっと決めたものだから、見て欲しかったのは本当だけど。
喜ぶ姿など想像もつかなかったから、想像の中でもそうか、の一言だけだったけれども。
それすらも無いなんて。
…予想はしていたが。
あたしは、セバスだけじゃなくて。
あなたとも話がしたいのに、ジェイムズ。
下がってしまいそうになる眉を止めながら、メアリは何食わぬ顔で、じゃあと言いかけた。
その瞬間に、Mが新聞を置いて、セバスの名を呼ぶ。
「セバス」
「はい、我が主」
「ガーニーを呼べ」
「はい、すぐに」
「え」
出かける予定でも?などと素っ頓狂なことをメアリは言わなかった。
Mの視線はまっすぐに自分に向けられている。
乗って帰れということか。
駆けずり回っていた頃は、餌が厄介ごとに巻き込まれないための、彼自身の為の行動だと思っていたが
…これは、気遣い、なのだろうか。
夜の街を、女一人で歩くのは危ないから。
それ以外に、メアリには彼がガーニーを呼ぶ理由が見つけられなかった。
「メアリ、あと5分ほどで到着するようです。下へ」
数瞬、彼の行動に思わず呆然として、それからセバスに告げられたことで
はっと我に帰って、メアリは慌てて礼を言う。
「あ、ありがとう、ジェイムズ、メリークリスマス」
「……」
言葉が返されることは無かった。
ただ、それに顔を曇らせることも無く、メアリはセバスに促されるままに、部屋を出て行く。
それ故に、黒い彼が僅かに眉間に皺を寄せたのにも、…気がつくことは無かった。











メリークリスマス。
ご苦労なことだ。
華々しく飾り付けられた街頭樹。
賑やかしい人々。
神の子と呼ばれた男の誕生がそれほど嬉しいものなのか、
神を信仰などすることの無いMには理解が出来なかった。
むしろ、神という人の産んだ概念すら、彼には理解しがたいものであったが。
現れた仔猫の、唐突な贈り物を、ちらりと見る。
メアリの言動から察するに、セバスに贈られたのが傘ならば、
こちらに贈られたのは、おそらく帽子であるだろう。
メリークリスマスと、微笑んで言った彼女の表情を思い返して、
無駄なことだと、Mは、暗がりの王は思う。
彼にとって、神などに意味は無い。
彼にとって、メアリ・クラリッサという少女には、意味はあるけれど。