曽我清四郎の朝は、そこそこ早い。
起きてごみだしをして、朝ごはんを作って。
やることは、ただのルーチンワークでしかないが、時間制限があるのだ。
世の中の奥様方と同じように、家にいる子供を学校に送り出す時間までという制限が。
「おい、たま、起きろ!」
リビング奥のキッチンから、怒鳴り声を上げると二階でごとっと物音がする。
それを聞き届けてから清四郎は、フライパンに卵を二つ割り落とした。
じゅぅっという卵の焼ける音がして、白身の外側がすぐに半透明になる。
そこにコップの水を加えて蓋を閉じて、水が爆ぜる音が
キッチンに響く頃、リビングの扉が、ぎぃっと音を立てて開いた。
「……ごはん…」
「もう出来る」
挨拶もせずにのっそりと入ってきた少女を見ずに答えると、
少女は腹をさすりながらダイニングテーブルについた。
ぱちぱちと爆ぜる音が沈んで、静かになったところでフライパンの蓋を開けると
黄身が見事に半熟になった目玉焼きが二つ。
それを皿に盛って、先に焼いておいたベーコンとサラダを添えて
テーブルに運ぶと、うつぶせた少女の頭が視界に入る。
「…」
無言で椅子を蹴って叩き起こして、運んでおいた箸を持って食べ始めると、
少女もまた、のろのろと顔を起こして目玉焼きを口に運び始めた。
「……清四郎」
「……なんだよ、たま」
「おなか減った」
「…………」
「おなか減ったの」
「………腹、減ったのか」
「おなか減ったのよう」
繰り返すたまの皿の中には、どういう早業か、既に食べ物は無い。
だが、たまが繰り返すそれは、そういう意味ではないと清四郎は知っている。
はぁと、ため息をついて清四郎は目の前の少女を見る。
あどけない少女だ。
歳は九つで、まだ小学四年生。
ふくふくとした頬や、ぱっちりとした目を持つ可愛い少女が、
ご近所様でお人形のように可愛いと評判なのを、清四郎は良く知っている。
しかし。
皿に目線を落として、サラダを突っつく。
しかし、だ。
このたまという少女、ただの少女ではないのだった。
まず説明するならば、清四郎とこのたまの間には、何の血縁関係も存在しない。
清四郎は曽我清四郎だし、たまは曽我たまと名乗らせているものの、本来の苗字は供だ。
ならば何故、二人一緒に一つ屋根の下で暮らしているのかといえば、清四郎がたまの監視役だからに他ならない。
監視役。
小学四年生の子供に向けるには、あまりにおかしな言葉である。
清四郎とて、ほかの子供にそれが向けられたならば、一笑に伏すだろう。
ただ、繰り返すが、このたまという少女はただの子供ではないのだ。
とても余人に話せたことではないが、清四郎とたまの家というのは、
平安より以前から脈々と続く、霊能力者の家系であった。
霊格のある干支になぞらえた動物を祀り、時の権力者と時に手を結び、時に戦いながら
この国の平和を守ってきた由緒正しい十二の家系の一つだ。
この時点で既にいかれポンチと黄色い救急車を呼ばれるレベルの話だが、更に続けて
たまときたら、その祀っていた動物を食ってしまった子供なのだった。
「…………」
サラダを突っついて、ちらりとたまの愛らしい顔をみて、それからまたサラダを突っつく。
………最初に、話を聞いたときには顎が外れたものだ。
食ったは無い、ほんと無い。
だって神様だ。
偉いし神格があるし神様だ。
清四郎が子供の頃、家にいる祀り神を見たときなんかには、ははあとひれ伏したい気分になったものだ。
それを食った。
ほんと無い。
ありか無しかとか論ずるレベルですらない。
いや、供の家が祀っていた動物は蛇だったから、そりゃあまあ、曽我の虎だの
辰巳の龍だの、府川の牛だのよりは食べやすいかもしれないが。
でも前見たときには、ヤマカガシ位の太さはあったよなぁと
昔小さな頃に見た、供の祀り神の姿を思い返して、清四郎は眉間に皺を寄せる。
それを僅か四つの子供が、丸呑みにしてしまったというのだから
あの時は本当に驚いた。
そして、間髪いれず思ったことは、そんなことして大丈夫なのか!?。

いや、無論、大丈夫なわけが無い。
その結果としてたまは、人と神の入り混じったわけの分からない存在となり、
人としての食事と、神としての食事を求める二重胃袋の持ち主となり、
六つのときに親殺しを犯し。
以来、曽我の若き一番手と名高かった清四郎の監視下に置かれているのであった。

「ねえ、清四郎」
つらつらと回想していた清四郎だったが、たまの声に顔を上げる。
すると、いつの間にか清四郎の目の前に来ていたたまは、ぺろりと清四郎の指を舐めた。
「清四郎、おなか減った」
「……うん、あぁ、わかった」
その言葉に、速攻で清四郎は首を縦に振る。
可愛い幼子に指舐め。
幼女好きなら身もだえするようなシュチュエーションであるが、
清四郎の背筋には冷たい汗が流れる。
人としての食事と、神としての食事を求める二重胃袋の持ち主のたまの、
神としての食事は霊力だ。
そして、食事なのだから、当たり前であるが、霊力を身体の中に取り込まなければならない。
霊力を食べる、取り込むというとどうも想像しづらいが、
どうするか答えは簡単だ。
霊力は魂に宿るが、肉にも宿る。
当たり前に普通に霊力を持った何かを、殺して食らう。
それだけだ。
それが、人であろうが、他の何かであろうが、神の食事だ。
人の食事ではない。
人の論理感は、神の食事をしているときのたまには通じない。
まあ、ようするに、今の指ぺろは、親愛表現でも甘えでも無く
味見で、かつこれ以上腹が減ったら食っちまうぞという脅しだった。
本人にその意図があるにせよ、ないにせよ。
「お前はジェノサイドでデストロイでカニバリズムだもんな」
「…ん?」
「いんや、いい。わかった。家に連絡してお前が食えそうなのよこしてもらうから」
「んー」
ひらひらと手を振って誤魔化すと、かくんとたまが頷く。
その素直さに苦笑して、清四郎は箸を机の上に置く。
そのかたんという音は、どこまでも日常の続きで
なおさら清四郎の苦笑を誘うのだった。